大庄は、かつての大庄村が尼崎市と合併してできた地域です。
 大庄地域の風物や見所など、地域を歩きながら、ひとつひとつ紹介します。

元浜緑地のわんぱく池とハスの花

 07年8月19日に元浜緑地を見に行きました。市民プールを今年限りで廃止する計画が出されています。尼崎市は、「水遊びは元浜のわんぱく池で」というので、現状を見に行きました。
 暑い盛りの日曜日でしたが、子どもづれの親子がたくさん来ていました。監視員の人に聞くと、「日曜はお父さんが遊んでくれるので安心。」とのことでした。1日600人が来るとか。
 市内5ヶ所もの市民プールが廃止されると、もっと増えるのではないかと思います。しかし市内全域からは元浜まで自転車や徒歩では無理で、自動車を持っている人ぐらいしかこれないのではないでしょうか。

 隣にある池のハスの花がきれいに咲いていました。
蓬川(よもがわ)のユリカモメ(06年1月)

淀川の花火が武庫川で

 8月6日、外でドンドン音がするので、出てみると、花火の音です。
 自転車で武庫川の堤防にいくと、近所の人がたくさんでていました。
 淀川の花火のようですか、ちょっと遠いけど、武庫川の堤防の上からよく見えました。
 右下のビルは、アルカイックホテルでしょうか?
ヌートリアの親子

 南武庫之荘の小袋西緑地の池にヌートリアの親子をみつけました。子犬ぐらいの大きさのネズミという感じです。子どもを3匹つれています。
 ヌートリアは体長50〜70cm、体重5〜15kg、げっ歯目ヌートリア科の草食動物で、もともと日本にいたのではなく、1930年ごろから軍洋服の毛皮用に南米から輸入されたものが野生化したもののようです。
 新人研修のとき「ヌートリアがいる」と指摘しましたが、市当局は小袋西緑地にいることを知らなかったようですが、後日説明に来ました。かつて西昆陽で飼っていた人がいたようです。捕獲には資格をもった人が必要で、捕獲したものは処分するしかないそうです。草食動物で身の危険がないかぎりおとなしいというのですが、心配する人もいます。夕方には近所の親子が見に来ていました。
琴浦神社

 旧国道沿いにある神社。祭神は嵯峨天皇の皇子である源融(みなもとのとおる)公。その邸宅である京都六条の河原院に陸奥の塩釜を模して庭園をつくり、ここから毎日30石の潮水を運んで塩を焼かせたとか。
 また海岸の景色が他のところよりすぐれているので「異裏」と呼ばれたとも伝えられています。
 尼崎の内陸部のこのあたりは、琴浦をはじめ、神崎、潮江、杭瀬など、海岸線にちなんだ地名が多く、かつては海の端だった頃をしのばせています。また尼崎の海は、「チヌの海」とも呼ばれ、とてもきれいだったと聞きました。海女(あま)も由来のひとつかも。

中国街道(琴浦通り)

 旧国道。昭和2年に阪神国道(2号線)が開通する前は、尼崎の幹線道路だったとか。もともと西宮で西国街道(山崎道)とつながり、兵庫への道でもありました。陸路や海路で大阪ともむすぶ道でもありました。古代には、神崎・大物から守部をとおって武庫川を渡る道でしたが、中世になって武庫側下流が安定し、尼崎が都市化してから西街道として成立しました。写真は大庄小学校前のバス停付近。日本風の塀と吾妻やが置かれ、向いの大庄小学校の塀も日本風になっています。
大庄公民館

 大庄中通にある大庄公民館。建物の完成は昭和12年、尼崎市に合併前の旧大庄村の役場として建てられました。建立当時は立派な建物として注目をあびたとか。設計は文化勲章もうけた村野藤吾氏(1984年没)の初期の作品。昭和17年に尼崎市と合併後は大庄支所として使われ、現在は大庄公民館として使われています。昭和61年に全面改装されましたが、外装は竣工当時に復元されています。
花壇
 尼崎医療生協病院向いの花壇
花絨毯
 関西労災病院横の植え込み

タンポポ
 南武庫之荘の路傍で
夢の花園

 街頭宣伝で歩いていて、素敵な花園を見つけました。
 大庄北4丁目、国道2号の尼崎信用金庫大庄支店の横の路地を北へ入ったところ。「尼崎市」の看板が立ち、地域のグループが管理しているのでしょうか、「春日グループ」の看板もありました。
 ちょうど天気の良い日で、手入れされた花壇に、桜の花びらがじゅうたんになって、夢の国にいるような、きれいさです。
 思わず「ちょっとまって!写真撮る」といってシャッターを切ってしまいました。(4月15日)
桜の中のチンチン電車

 前回お伝えした水明公園のチンチン電車の周りは桜満開です。
 (4月13日)
南武ポンプ場

 大庄ではありませんが、私の受け持ち地域なので紹介します。
 武庫川流域下水道の中継ポンプ場のひとつ。JR山陽線と武庫川の交差したすぐ北にあります。尼崎は、土地が平坦なので中継ポンプ場で汚水をくみ上げて流しています。武庫川流域では、南武中継ポンプ場・常松中継ポンプ場・瓦木中継ポンプ場の3つがあります。
 南武中継ポンプ場のポンプ能力は、汚水 : 15.75 m3/s、雨水 : 47.7 m3/s。尼崎北西部の地域を受け持っています。
 数年前、大雨でこのポンプ場そのものが水につかり、周辺が浸水したことがあります。生活するために大切な施設ですね。
 桜の花が満開の4月9日に写真をとりました。
 
桜ちらほら

 4月5日、武庫川駅での早朝宣伝のあと、桜を観察しました。先週はつぼみでしたが、ずいぶんふくらんで、チラホラと咲いています。河川敷で花見をしているグループもありました。これからいっそう花見客でにぎわいますね。

「雉が坂」伝説

 旧国道と武庫川が交差したところのすぐ北側にあるのが「雉が坂」(きじがさか)。
 1582年(天正10年)、羽柴秀吉は、明智光秀によって本能寺で織田信長が殺害されたことを知り、備中(岡山県)から急いで引き返しました。ところが、明智勢は尼崎の武庫川近くで待ち伏せしていました。
 小松まできた秀吉に一農夫から注進があり、武庫川をみると、夜明けまでに時間があるのに雉が飛び立つのを見て、異常を悟った秀吉は、西昆陽方面に進路を変え、背後から攻め勝ちました。
 実際に雉が飛び立った坂には住宅が建っていますが、すぐ近くに「雉が坂子ども広場」が作られています。
水明公園のチンチン電車

  尼崎競艇場の西隣にある「水明公園」に、かつて国道2号線の路面を走っていた阪神電車が置かれています。
 「71形」と呼ばれるものらしく、色は塗り替えられて当時のものとは違いますが、懐かしさを覚えます。
 私が見たのは3年間だけですが、2,3度乗った覚えがあります。
 国道路面の
阪神電車は、昭和2年7月に西野田〜東神戸の開通以来 昭和50年5月まで48年間、住民の足として利用されました。
 展示されている電車は、昭和12年2月に造られ、廃止されるまで38年間活躍しました。走行距離は174423キロ、なんと!地球44周り分にあたるそうです。重さ20、6トン 長さ13、9M。
 今は走ることは出来ませんが、集会室として利用できます。
                      (2005年3月31日)
武庫川

 西宮市との市境を流れる武庫川(むこがわ)。写真は阪神武庫川駅から北を望んだもの。先に見える橋は、琴浦通り(旧国道)に架かる武庫川橋です。
 武庫川の河川敷は早朝から地域の人たちがウォーキングを楽しむ場所となっています。
 武庫川沿いに高速道路をつくる計画が二度にわたって計画されましたが、地域のみなさんの運動でいずれも中止させました。私も15年前の阪神間南北高速道路計画に反対してたたかいました。
 ハゼなどの釣り場としても親しまれています。(3月29日)

桜のつぼみ

 3月29日、武庫川の堤防の桜のつぼみがふくらんできているのを見つけました!
 まもなく開花ですね。
 武庫川沿線には桜の木も多く、満開のころには、多くの人が花見を楽しむ場所です。

素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)

 武庫川のほとり、旧国道の南に位置する神社。
 江戸時代は、「牛頭天王社」(ごずてんのうしゃ)と呼ばれていましたが、明治の制度で現在の名称になったとか。
 武庫川は、かつて「暴れ川」「人食い川」と呼ばれるほど、たび重なる氾濫で沿線地域に多大な被害を及ぼしました。
 災害から、人命や田畑、家をまもりたい人々の願いが込められているのでしょうか。(3月29日)
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2007年8月21日 更新
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