2008 1/13

年末に「金比羅宮書院の美」展を見に四国へドライブ。1日目は淡路島経由で鳴門の大塚美術館へ。気になりつつも

一度も行ったことがなかったこの美術館、実物サイズの世界の名画を網羅。美術全集の中に自分が迷い込んだような

気分で、古代壁画や宗教画の複製に圧倒され現代絵画のフロアーに着く頃にはへとへとになっていた。何千年分もの

美術を2時間程で回ろうとするのがそもそも無理なのである。陶板に写真技術で焼きつけた作品はさらに筆触を加え

る為のレタッチが行なわれていて、ゴッホ等その複製作品制作者の心意気なんかも筆跡から感じられて面白い。世界

でも類を見ないレプリカ美術館、得したのか損したのか、重厚だったのかキッチュだったのか、もう一回見たいのか

そうでもないのか何か不思議な印象を残したまま出発。金比羅さんの参道下にある「つるや旅館」で一泊。リーズナ

ブルな料金と旅館のホームページの可笑しさが決めた理由。修学旅行を彷佛とさせる素朴な部屋と丁寧なお料理。

さて翌日、金比羅宮を目指し三百何段か登ったところに書院があって応挙、若冲らの作品に出逢うことができる。

応挙や若冲は人気絵師、当時は超モダンな画風だっただろうし、そういう人物を起用する金比羅宮司の心意気は現在

にまで継がれていて「常若(とこわか)」という常に若く新しい精神であるらしい。だからこそ「ニューこんぴらさん」

という文化ゾーン構想のひとつカフェレストラン「神椿」なるアート感覚溢れる施設ができたりするのである。そこの

壁面の作者は「田窪恭治」現代美術家。白書院なる建物の障壁画を現在形で描いているその人である。作風は荒々しく

も人の営みと自然を敬虔に見つめるそんな表現である。応挙のネコ顔のトラ図と若冲の江戸モダンな図鑑風絵画が印象

に残った。各種グッズを販売しているのもまた抜け目がない展覧会である。そうして階段を降りるころ頭の中には「讃岐

うどん」がちらちら、どこで食べるか考えながら帰路に着く。車は地道をことこと走り瀬戸大橋をめざす。以前乗ってい

た車がどこか船っぽかったのに比べると、今の車は金比羅さんにもある「かご」みたいな、ゆっさゆっさした乗り心地。

これはこれでスローライフツールのひとつである。のんびり生きつつも気分は「常若」でありたい2008年。よろしく。

 

 

12/10

いろいろあって、iBookの蓋を開けたら12月になっていた。世間はこういう体裁ではなくブログの時代。ちょっと

気を抜くと時代はずっと前にある。作品もそうだが、最近の自分の生き方は「後方に落としてきたものを探しに行く」

そんな感じだ。さて大阪福島の莫大小(メリヤス)会館は味わい深い古いビルで、最近現代アートギャラリーがオープン

したりして御存じの方は多いと思う。 そのビルの一室を以前から画室として制作や発表をしているのが高木清という

画家である。律儀で緻密なリアリズム、花だけを描いてきた氏は岡林が降りてきたようなシンガーでもあるが、他には

振れることもなく、画室にあるアンティークと重なる頑固なそのライフスタイルには感動。 時代に乗らないというの

もまた今の時代らしい選択でなんだかややこしい。新旧分からず気に入っていた変な仏車も車検、修理となり、迷いつ

つカーショップを尋ねてみた。お勧めカーの解説を聞いているうちに脳内物質が分泌、30年前に設計、15年前に製造

された某輸入車を購入することになる。先の画家のごとく頑固そうな風体、「落としてきたものを探す旅」のつれとして

相応しいかも。「昔の新車気分」を提供してくれたのは箕面のAutoColection「VITO」漫画の本をたくさん貸してくれ

たので紹介しておこう。 悪のりした自分は古書店で30年前のカーグラフィックを探したりして悦に入っている。

 

7/14

雨が続いている。降り続くと、しりあがり寿「方舟」を思い出し、世の終焉を何となく意識してしまうのである。

さて東京にて、人の集まりも一段落かとミッドタウンに再び。森美術館のアートショップを物色していて見つけた

のがCD「NO NEW YORK」。80年ころに擦り切れるほど聞いた一枚。当時、8/8ロック予選に練習もせず下手なの

にアドリブで出て「帰れ」と客席から言われた時の曲のイメージはこのレコードだった。脳天に針金を擦り付ける

ような音、メタボリックによる緩衝地帯もない当時の身体だからこそパンクに反応できたのかもしれないが・・。

正にお上りさん、築地市場に行ってみた。食堂、寿司店等いっぱいあって楽しめる。昼時は行列のできる店も多い。

素材が新鮮なのは当然、気になるのは値段が結構高いこと。これが東京価格なのか。関西人の感覚「旨いのに安い」

とはまた違う価値観である。市場内の運搬車はぶっ飛ばしていて引かれそうになる。とにかく「食う」は人間の基本。

 

6/23

テレビで東京のガスタンク内の映像が流れていた。特に何かあるわけではないがわくわくする空間だ。子どもの頃

押し入れ、ミシンの下、机の下、たんすの中などに好んで入っていた記憶がある。自分が虫か何かだった頃の習性

がDNAにすりこまれていたのか、今も車の中という閉鎖空間が妙に落ち着く。小学校の時読んでいた雑誌「学習」

の読者投稿欄に自分の夢を語った文章があり、印象に残っているのは、お煎餅のぷくっとふくれた隙間に入りたい

というもの。子どもながらにこれを書いたやつはすごいと感じた記憶がある。当時「ミクロの決死圏」もまた入り

込み願望を満足させる映画だった。さて今進行中の個展作品は「跳び箱」、その外部、内部を作り込みながらFunny

but Empty な(おもしろ虚しい)世界を表現する予定。

 

6/22

ひとつのことをするのにえらく時間がかかるようになった。例えばこの数行の文字を入れるのに一月以上かかって

いるということである。パソコンのCPUの進化に対して自分の脳みそはどんどん退行している。新しい作品のプラン

を考えるのにもそのアイデアは記憶をほじくり返しながら形にしているのであって、まったく新しいものが生まれて

いるわけでもないのである。20代の志みたいなものが生涯意味を持ってくるとは、かの井筒監督が言っていたことだ

が、なるほど彼の映画をみるとそんな気もする。ところで自分の身辺、これといって大きな話題はないけれど自動販

売機の缶コーヒー、長くピッピッと鳴っていると思ったら「当たり」でもう一本。これは何年かに一度のラッキー。

小さなことに喜びを見出せれば欲望丸出しの犯罪も少し減るのではないか。つまり自動販売機の当たりの確率を高く

することで人の心は穏やかになる。疲れる評価・競争の社会で自動販売機だけは「もう一本飲んでがんばりなはれ」

と人を値踏みすることなくエールを送ってくれればいい。

 

 

5/3

コンビニでスパゲティを買うと「映画黄色い涙に登場する喫茶店のナポリタン」と書いてある。永島慎二大先生の

原作。レジの横にはその復刻マンガが置いてあったので購入しマンガを読みながら食べた。昔「COM」で出逢った

永島まんが、フーテンという青年像とそのトーンを決定付けるそれまで見たことのなかったドローイングのタッチ、

自分の中の東京のイメージはこのころと変わっていない。で連休は東京へ、アートトライアングルというミーハー

スポットとできれば世田谷線界隈をうろうろしたいが1日では無理か。神戸空港を初めて利用するのでそれも今から

わくわくだ。

4/1

久しぶりに神戸へ、元町のトアロ−ドギャラリーでは善住芳枝展、自在にして重厚な大作のタブローがレトロなビル

の階段という展示スペースにその存在を示していた。続いてはアトリエ2001で準備中のサウンドアーティスト坂出氏

を訪ねる。ノイズというコンセプトを視聴させてくれる数々の仕掛け、このギャラリーもまた阪急電車高架下という

不思議な空間だ。この後、日曜には開いているという鉄人マーケットに寄ってみる。桂小枝が訪れた番組を見て気に

なっていた場所のひとつ、タイムスリップさせてくれる雑貨がところ狭しと置かれ、まるで秘密基地のような怪しき

お店。目にとまったもの「ネーポン」知る人ぞ知る鶴矢食品研究所の飲料だが、この会社この2月に廃業、本当に幻の

飲み物となってしまうのである。写真の手帖は1965年ころの神戸銀行グッズ。この表紙は神戸市民だった人には馴染

み深いはずだ。後に太陽神戸銀行、華麗なる一族と重ねながらこの手帖にkimutakuの似顔絵でも描こう。ショウワな

建物やモノが気になったのは植木等が亡くなったせいだろうか。しかしその前から小津安二郎のDVDを見たり、ハナレ

グミの「夢で会いましょう」をダウンロードしたりしている最近の私、ヘイセイに疲れ気味の人たち、その一人。  

      

 

2/12

忙しい缶詰め状態から抜けたと思ったら2月になっていた。何だか暖かいこの頃だ。4月の気温だそうな。ならば

7月8月はどうなるのか今から恐ろしい。そこで壊れていたエアコン2台を思い切って付け替えることに。あちこち

捜しまわって安いのを見つけたと喜んだけれど、取り外しやなんやで工事費が本体より高くなった。自分でできな

いものは仕方がない。土曜は久しぶりに阪神高速で大阪へ、これまた故障していた車、やっと退院したところ。心

なしか駐車料も値上がりしているような。出費の続く2007年。

 

2007 1/1

 

本年もどうぞよろしく

 

 

12/22

ちょっと忙しくしていて、気がつけばもう2006年も後少し。世の中何か取り返しのつかないような変化をしている。

競争や管理のシステムは強くなって、自分が若いころに抱いていた、ゆるやかにリベラルな方向に向かう社会という

未来像は見事に消し飛んだ。さて今年いろいろ観た美術展の印象は、アートを通しながら「人と人」「場所」「時間」等

コミュニケーションを大切にしつつ語ったり問いあったりする、プロジェクト指向の表現、そしてその対極ともいえる

作家個人の幻想によって支えられているようなぶっ飛んだ表現、その両者がそれぞれに興味深かった。ただ、今の自分の

心境からすれば、作品を前に静かに問われる表現よりも、共有しきれぬあからさまな個人世界に茫然と鑑賞する方が合って

いるような気もする。忙しかったり、世間そのものに問われている日々というのはむしろアートにトリップ感覚を求める

のかもしれない。NOMAの老人力や、見に行けなかった大竹伸朗展、神戸での若手グループ展「オフィス2001」の印象。

それではよい年末、年始をお過ごしください。

 

11/4

昨年参加させてもらった大阪現代美術センターでの「ギャラリズム」2006、3日はイベントデーで各パフォーマンス

や「おかけんたトークショー」があったのでちょこっと見に行った。14のギャラリーからはまるで飛び道具のように

インパクトのあるアーティストが紹介され、フロアーはなにやら戦場のようでもあって面白い。真剣の争いでなく、

新聞紙でチャンバラをしているようなユルさをかもしだしているのは確信犯「水垣、岡本組」の仕業か。ジーンズに

花をペイントするピースフルなアーティスト鍵井氏、グランドピアノやコーラスグループを会場に持ち込んだ竹之内

氏、ゲストなのに地下の会議室風スペースで独りギャラリズムを営む木内氏など、多様な表現と片付けられない内容、

来ないと分からない感覚、それもそのはず今回のテーマは「現場だ!」である。 おかけんた氏のトークも自分のコレク

ションをアドリブで紹介していくようなもので現場感覚、中でもデジタル数字の作家、宮島達夫が自ら出演し、カウント

ダウン後、水に顔をつけ息を止めることを繰り返すビデオ、これは笑わずにはいられないお宝であった。  おかしさと

いえば、少し前に観た演劇、ブレヒト「小市民の結婚式」は新郎手作りの家具が客の前で次々に壊れていくという、意味

深いけれども何だか笑ってしまうような芝居。これを観た次の日我が家の階段の板が本当にバキッと折れた。壊れることの

せつなさ、さらに可笑しさ。かつて水垣尚氏の製作した転けるためのロボット、この面白悲しいアートはしかし見る者を

元気づけたりもするのであった。

 

 

 

10/3

伊丹の美術館では「今村源展・連菌術」が行なわれている。美術館の空間や既に展示されている作品に寄生するかの

ように、キノコやキノコの菌糸状の作品が設置されている。また隣の酒蔵にも作品があり、ふだん入れなさそうな場所

にまで寄生し、しかも無気力に回転していたりする。作品のいくつかは「冬虫夏草」を連想させる形態で、人や椅子か

ら例のひょろっとしたキノコが生えている。期間中行なわれる講座を聞きにいく。幻想画家、大竹茂夫氏と今村氏との

公演と対談、冬虫夏草の研究家でもある大竹氏の資料写真や標本は圧巻であった。高校のとき同じ美術部であった彼は

私の次代部長だが、その画力と独特なイマジネーションにおいて、すでにかなわぬ天才であったのだ。話の中に白土三平

のマンガにあった「冬虫夏草」が出ていたが、探していた少年自身が冬虫夏草になってしまうというこのマンガは私の記

憶にも深く焼き付いているもののひとつである。しかし実際にそこらの里山に何十何百と生息していたとは驚きである。

そんなキノコから「寄生」という概念を見い出し、自問し、製作のコンセプトを語る現代美術家今村氏と比べ、むしろ生

物学者のように嬉々として収集しつつ作品にもその姿が登場する大竹氏、何となく噛み合わない対談が両アーティストの

個性を表していて、面白く参加できた。10/7にはチチ松村の講座がある。よくわからないが、今「キノコ的」が時代の

キーワードになるのかもしれない。菌糸のように見えずに連なる世界。耳ざわりのよい「共生」より「寄生」という命の

やりとりまで含めた他者との関係性。今村源展、案内チラシのデザインもかっこいい、菌糸ねっとり風で必見である。

 

9/19

久しぶりに神戸アートビレッジセンターへ、案内をもらっていた展覧会は終わっていてギャラリーは空。さてどうした

ものかとインフォメーションを見ていたら、あと10分程で上映の映画が「拘束のドローイング」(マシュー・バーニー)

だった。昨年の夏、金沢21世紀美術館マシュ−バ−ニ−展に行けず映画も見ていなかったので、ふらっとシアターへ。

ビョークとマシューが捕鯨船で解体しあったり、茶道や捕鯨など奇妙な儀式イメージのオンパレードにちょっと疲れる。

毛皮でできた着物風衣装や貝殻の装具、マシュ−には悪いがずっと以前のCM「ヤリガイ」を思い出した。確か背中に大

きな巻貝を背負っていた気がする。ある小学校での実話。生活指導の教員Aがふざけて作ったスチロールの「ヤリガイ」

を背負っているのを忘れて廊下で子どもに説教。大声で叱っているその背中には作り物の大きな貝がついたまま。しかも

走っていったのでポキッと折れた情けない姿だったという。自分が映画を作るならこれである。「校則のドローイング」

と題すれば、現代日本を描く一本となるに違いない。「こうそく」といえば神戸高速新開地から高速神戸まで歩いてみた。

卓球場と古書店、何年も変わらぬ景色だった。おそらく当時は張り切って描いたであろう学生の壁画もちょっと痛い。

「高速のドローイング」という今日のオチである。

 

8/31

8月も終わりに、陽射しは厳しいものの朝夕は涼しくなってきた。先週は夜行バスに乗って東京へ、ベンツのバスは

乗り味固め、眠れるような眠れないような。お台場のハムフェスティバルにてわが作品に出会いCQ出版の沖田氏に

昼食を御馳走になる。 川村記念館に足を延ばしクレー展を鑑賞、コレクションのステラ作品は庭に設置されていて

知らないおじ様がハウルの動く城と言ってたが、まったくその通りの姿であった。さて、大阪のギャラリーHOTでの

展示はなかなか面白い。と自画自賛しておこう。森元氏の漫画原稿をはじめ手に取ってご覧頂くものもいろいろあり、

健康器具試乗、お持ち帰りフィギュアコーナーなどサービス満点。是非お越しください。今、全国でマンガ関連の企

画展や施設の計画などめじろ押し。マンガが暑い!! この土曜9月2日のイベント「森元暢之・紙芝居」「福岡千香子・

漢方紙芝居」「大川倫弘・犬仮面/ワークショップ風」参加受付中、GalleryHOTまで。さて、阪神、奇跡なるか。

 

8/16

マスコミは靖国一色である。小泉劇場の思惑どおり、世間は感情に揺さぶりをかけられている。静かに考えてみればいい

と思う。例えば靖国神社で売られているグッズを見てみればどうか。露骨な愛国、軍国グッズ、CDもある。魂を扱うという

重さと観光ノリの庶民感覚で「こころ」を持っていこうとする現代的プロパガンダには気をつけろ。まるでそこに日本人の

アイデンティティーがあるかのような「踏み絵」機能をもたせているのは他ならぬマスコミ自身。北京の軍事博物館にも行っ

たが、このYASUKUNIがどのような機能を持つのか、実際に行ってみるしかないか。これってすでに術中にはまっていると

いうこと?  さて二つのマンガをテーマとした展覧会、準備・研究と称してフィギュアショップや古書店を回るも、その

世界の広さ深さに茫然とするだけ。赤塚不二夫、石森章太郎それぞれに出している「まんが入門」を購入、子どもにも希望

を与える書きっぷりが優しい、1970年頃。それでは、ギャラリーHOTの御案内「マンガと健康の教室」

8/13

越後妻有トリエンナーレはえらく暑かった。へとへとになるほど移動するも、その場所ごとに驚きや感銘が涌いてきて、

気持ちが疲れることはなぃ。アーティストの誠実さが滲んでいるし、地元スタッフや東京の学生等支えるボランティアも

爽やかである。大地(自然)、人や人の暮らし、そういうテーマに真摯に向かい合うことが、今、問われている。それは分

かるが、自分の立ち位置はそんなに誠実なものじゃないでしょと私に囁く影の声。さて、その一方で世間に増殖していく

イコノロジーの世界がある。マンガ、キャラクター、映像、自然とは程遠い日本橋の裏通りにもまた人らしさが愛おしく

満ちている。8/28からのギャラリーHOTはどちらかというとそんな雑然としたマンガの教室。奇しくもそのオープニング

の日は「猿でも描けるマンが教室」(3代目)の発刊日となるらしい。かの竹熊健太郎先生のブログに、初代「サルまん」も

アップされている。この絵を描いたのが自分であることは何かこっそり嬉しかったりする。というより15年間、あれこれ

やってきたが「ぐるーっと一周した」そんな感じがする。月刊誌CQハムラジオさんがこの夏ハムフェアに招待してくれる

ことになった。初代サルまんのとき三鷹の相原コ−ジ先生宅にお邪魔して以来これも「一周」か。いや双六でいうところの

「ふりだしへ戻る」ということかも。 相原、竹熊、両先生のサイン会でも大阪であれば一目お会いしたいと思ってます。

 

8/1

暑くてぼーっとしていたら8月になっていた。エアコンがつぶれたので扇風機をかけると、何かぬるい風をかき回して

いるだけのようで??である。電器店でコンビニクーラーなる持ち運べる除湿クーラーを発見、これならすぐにと思い

よく見ると熱交換した熱い空気も同時に後ろに出るというもの。「部屋全体は冷えません」の注意書きどおりだ。これは

買えません。  さて先週、展覧会の打ち合わせで漫画家の森元さんに出会った。ぴあに乗っていた作品や、ガロで

見たりした作品。そこに登場する少年がそのまま少し年を経て自分の前に座っているような、ガツガツした人が多い現在

には希有なガラスのような人物であった。長井勝一氏に出会われた話や今住んでおられる家ではウグイスと蝉が同時に鳴

いているという話、等々。9月2日にはギャラリーHOTにて紙芝居公演。楽しみ。 私は明日から越後妻有トリエンナーレ

「大地の芸術祭」という恐ろしく広いエリアでの美術展に出かけようと思う。脱都会の美術が如何なるものかこの目で確

かめに。しかし想像しただけでもちょっと疲れてきた。恐るべし里山アート。

 

7/2

このごろの雨はスコールみたいにどかっとふるので、我が家の屋根の変な形状のところは排水しきれず雨漏りになる。

早くからっと晴れて欲しいがそれはそれで部屋が暑くなって息苦しい。こういう住みにくい家のよいところは、あまり

家に居たくないから行動的になるということだ。ところで少し前のこと関西ハムフェスティバルというイベントに作品

参加させてもらった。昨年の作品、モールスのでっかい電鍵がアマチュア無線家に珍品として面白がられたということ。

この夏は全国イベントに展示されるかもしれないのである。アートファンでなくアマ無線のうんちくおじさんの好奇の目、

これがいたって厳しい。皆自分の使いやすいように調整したりする。雑誌CQハムの人物にいたっては実際に無線の機械を

接続、おそらく実際に使われた電鍵としては世界一であったろう。作品が記念撮影アイテムになったのは自分でも初めて

である。さて現在取り組んでいる夏の企画展は「ギャラリー新習慣」という大阪の4ギャラリー共催の展覧会とイベント。

ギャラリーH.O.T.では「マンガと健康」がテーマ。ギャラリーを教室仕様にし漫画紙芝居やパフォーマンスその他面白い

展示にする予定。このサイトみたいにアート、まんが、何でもありのお気楽スペースを作るべく、作家、漫画家に交渉中。

 

 

6/3

いつの間にか駐車禁止の取り締まりが民間委託されているそうな。詳しいことは知らないが何分かの猶予もなく証拠

写真一発で持ち主に罰金という強引な制度らしい。一般人相互にちくりあうようなことにはならんのでしょうかね。

宅急便の運転手はどうなる。運転していて携帯をかけたら違反、止めたら罰金、どうする。多少干渉地帯のある自主

判断にゆだねられるマナー社会など程遠いようである。自由を言ってるわりに成熟した個人主義が育たなかった国、

判断を他者にあずけるくせがつくと、自分のビジョンを自分で生きていくそんな想像力すらなくなってしまうかもし

れない。共謀罪をはじめいろんな縛りをかけられていくと人はどんどん地下に潜っていく。 業田良家のショートSF

マンガ、そこに描かれた近未来、人々が何かを失っていく世界への黙示録であり、今、妙にひっかかるのである。

 

5/25

「地力」神戸磯上の会場へはよく足を運んでいる。中でも倉庫を会場としたワーダダさんグループが面白い。その倉庫

にあった資材を半ば即興的に作品化しているのだが、そのスケール感と名前通りのダダ精神みたいなものが論理や物語と

違う次元でせまってくる。古いシンクを泳ぐ生きた海老、コンベアに張り付けられたコテコテのジャンクが意味なく回る

装置。エアコンでできた階段。等々。これらには同じ空間に作品を設置した國府さんも苦笑するしかないかも。以前から

その作品が好きだった國府さんのは今回、ヨットの帆が倉庫の屋根で回転しその軸が突き抜けて倉庫の地面にドリルで穴

を空けているというもの。空や風へ連なる爽快感と少し虚ろな物語性、ツボにはまるアーティストだ。いずれからも自分

に足りない作家の覚悟みたいなものを教わる感じ。この磯上にあるグランドに高校の頃ラグビーの試合を見にきた記憶が

ある、そう思っていたら偶然にも名前を見たのでと高校時代の同級生が訪ねてくれた。友だちもあんまりいなかった私、

テニス部中退、オタな美術部出身。しかしその訪ねてくれた氏はユースホステル部だったというからこれも得体の知れぬ

同級生だ。名刺交換したもののどちらも老眼で読みづらいという図に年月を感じ、出世しないのが生き方と互いを励ます

心暖まる再開であった。このアートイベント28日まで、近くに来られましたら是非。

 

5/1

神戸三ノ宮から少し南東へ下がると磯上グランドがある。その近く、解体予定の古い木造倉庫とビルが会場となって

開かれるのが「地力」(ARTイマジネーションin神戸磯上)。様々な現代美術作品群の他、音楽、パフォーマンスも繰り

ひろげられる楽しい2週間となりそう。期間は5月14日から28日、事務局はNPO法人リ・フォーブ。参加させてもらえ

ることになったので下見にいくと、年月を経た場所の力を感じ、わくわくするもさて作品はどうなるのか心配。もう一

カ所、伊丹の三軒寺広場でのクラフト・アート展、6月3・4日、気軽に作品を見たり買ったりできるイベントだ。クロ

スロードカフェ前がクラフト&アートマルシェ(青空市場)になる予定。ところで世間はゴールデンウィークに突入して

いるらしく高速道路の渋滞ニュースが流れはじめた。とりあえず車を洗ってみたもののどこか遠くに行く当てもなし、

すいている街の中でもぶらぶらしてみようかと思ったら、老松町は古美術祭でなにやら人出、日本橋にいたっては、お

じさんを押し退ける勢いでアキバ化が進んでいる?そんな人出。やっぱり家でテレビ、NHKのノッポさん回想記はよかっ

た。始めて声が聞けた「できるかな」最終回、72才にしてみんなの歌「グラスホッパー」を歌う現在のノッポさんのビ

デオクリップ、ちょっと元気がでる。

 

4/8

家にある洗濯機の脱水機能が故障、家電量販店に向かい今時の洗濯機調査をする。何となく気になっていたのがあの

前面に丸い窓のあるタイプ。じっくり説明を聞く。恐ろしい進化をとげている洗濯機、槽が横や斜めに向いているの

にも水の節約や洗う方法などの理由があるらしい。「からまん棒」以来何の知識もなかった自分には驚きであった。

デザインや機能にもまして驚いたのはその価格、最新のは20万円以上なのだ。そう言えば掃除機も高価なのが出てい

る。そういうものほど省エネ、クリーンが強く謳われていることに矛盾を感じるのは負け組根性のせいかもしれない。

ずっと前にあった番組「ズバリ当てましょう・ナショナルプライスクイズ」ズバリ賞は家電一式がもらえるというもの

で、当時は国民のほとんどにとって垂涎のまとだったのである。その後家庭にはモノが増え、家電製品は日常物となった

のだが、ここにきて、大型液晶テレビやハイビジョンDVD、先の家電などそそるものがめじろ押し、クイズ復活すれば

話題になると思うけれど。さて我が家に目をやれば生活に必要な電化製品はすべて古いまま、分厚いテレビ、うるさい

冷蔵庫、吸いにくい掃除機、特に困っていなければそれでいいのである。そういえば店で詳しく説明をし勧めていた店員

も「干せるなら別に乾燥機はいらないかも」と言ってたし、家人は「そんなに自分で洗濯したければコインランドリーに

いけば」とおっしゃる。なるほどである。結局、我が家にあの丸い窓が前面についた洗濯機がお目見えすることはない。

消費と幸せの関係、散髪にいけば1日幸せ、車を買えば1月幸せ、家を買えば半年幸せ。これは印鑑屋さんのコピーらしく

オチは「ハンコを買えば一生幸せ」だそうである。

 

3/28

大手リサイクルブックショップができると街の古本屋さんはきついらしく、よく行く店ももうすぐ閉店とあいなる。

漫画の棚を物色、目にとまったのは「紫電改のタカ」(ちばてつや)だった。人生、子どもの頃何と出会ったかによって

決定されるような気がするが、自分の場合、少年漫画はアイデンティティー形成に随分影響している。ちばてつやと

言えば「明日のジョ−」「ハリスの旋風」等々アウトローを描く天才で、見るものの感情を鷲掴みにしてしまう。子

どもなりにそこから「強さや弱さ」「優しき人と人の有り様」「表面的正義への疑問」など、大袈裟にいえば生きる

知恵や勇気を学んでいたのである。「紫電改のタカ」はその戦闘機のディテールや戦闘シーンにわくわくしながらも

他方「これでいいのか」と人間のやりきれなさを問う、印象深い漫画だった。当時の少年は皆主人公「滝城太郎」の

ようになりたかった。分かりやすい漫画を分かりやすい子どもたちが喜んで読んでいられた60年代というのは幸せ

な時代だったのだろう。滝城太郎、明日のジョ−、力石徹、死で幕を引く。しかしそれは読者に生のメッセージを引

き継ぐためであったろう。桜の季節になると「桜花」「特攻機」のイメージがつきまとう、個人や個人の夢を抹殺し

ての愛国心などまっぴらごめんである。

 

3/15

3月も半ばにしてまた冬に逆戻りのような雪模様。この季節になると出回るいかなごの釘煮だが今年は寒さのせいで

サイズが小さいらしい。この異常寒波が地球温暖化によるものだとか、訳の分かりにくい話である。クラゲが異常に

でっかくなったり釘煮が縮んだり、ペンギンが日射病になったり、地球SOS。ところで、来る26日に伊丹でコンサート

がある。〜「ちょいワル」フォークを酒蔵で体感〜というタイトル。場所は復元された昔の造り酒屋、旧岡田家。70

年代フォークの重鎮、中川五郎、「女ディラン」の異名をもつ中山ラビ、プロテストソングにこだわる小林柳二郎、

神戸出身のデュオ、風来らが出演。問い合わせはクロスロードカフェ(0727-777-1369)懐かしいと思った方は是非。

コンサート収益の一部は枯葉剤被害者ユンちゃん支援活動に充てられるということ、人間の業でSOSを発する地球に

なってしまったけれど、他方で良心みたいなものが消えていないのも事実。先日アフガン友好協会の西垣敬子氏の講演

を聞く機会があり、そこでも感じたのは知識、評論の受け売りでなく自分の感覚とフットワークで考えろという問いか

け。今はまだこたつの中が居場所の情けない自分、暖かくなったらもっと街に出ることにしましょうか。

 

 

2/12

トリノ五輪開会式、炎のスケーターにF1カー、いろいろ派手にやってくれました。スピンで五輪を描くつもりが失敗? 

ご愛嬌。人で描くジャンパーにモジモジ君、さながら欽ちゃんの仮装大賞。オノヨーコまで登場、さて競技の方はどう?

キリンプラザ大阪にてエノチュウこと榎忠展。伝説の怪しバー「ローズチュウ」も再現。写真や映像で見る巨大機械彫刻

スペースロブスターや頭を半刈りにしてのハンガリーツアー等々。万博好きのヤノベケンジが仕掛人だからさながら榎忠

博覧会の様相。緻密な図面をもとに職人技で仕上げていく作品や、何ヶ月も穴を掘り続けるパフォーマンス、自力自腹で

やってしまう潔さも格好よい。少年のごとく、やりたいことをやる「その男・榎忠」。結構影響を受けている私である。

ところ変わって兵庫県篠山市陶芸美術館。ここは去年の秋にオープンしたばかり。得意でないジャンルではあるが鑑定団

の中島氏のごとく「いい姿ですねえ」とか言いたくなる丹波焼の名品を見ることができる。フレンチレストランはおしゃれ

だが「量が少ない」気がする。野太い立杭焼のイメージに負けない料理にしないと、この地でリピーターは難しいかも知れ

ない。県立美術館レストランの二の舞いにならぬようにと、いらぬ心配をする私。どこも同じ感じのミュージアムショップ

も再考。建物やロケーションが面白いだけにこういうことにも期待してしまう。勿論、要は企画なので今年の後半に期待。

 

 

1/22

「誰カバ」こと「誰がカバやねんロックンロールショー」とは30年ほど前に関西で活躍したバンド。そのボーカル

ダンシング義孝氏のライブがあるというので出かけてみた。「縁やこら」という面白そうなレストラン。アコース

ティックギタ−一本でのソロ、年令からして渋めのバラードを歌っているのかと思いきや、ダンシング義孝の看板

は健在、「勝手に体がリズムを刻むってぇもんだ」と言ってた昔と変わらぬロックンローラーぶり。最近無気力気味

だった自分には実に心地よい刺激となった。ギターをかき鳴らしながら椅子の上にまで上ってしまう齢52。世間では

ちょいワルおやじなどと、こじゃれたおっさんライフが流行っているが、スタイルを気取るより志を貫徹するおやじ

の方がよっぽど格好いい。「音楽やアートは目に見えないものを引き寄せるもの」と言う義孝さんはカバならぬロック

ンロ−ルバカおやじ、何か荒削りな感じもそのままの伝説的おやじであった。さて「よっしゃー」と家に帰ったものの

こたつに入ったら「ここが一番」とついウトウト。小学校の時、学芸会の劇で動物ナマケモノの役になったことがある。

私が貫徹している志、そのルーツはこのナマケモノ精神にあるのかもしれない。根っからスローテンポ、またウトウト。

 

1/3

2006年

Happy New Year

年末の厳しい天候からすれば思ったよりおだやかな元日。なぜか今年は忠臣蔵の赤穂市にて迎えることに。街を走る

郵便局の人がそろいの忠臣蔵法被(はっぴ)を着用しているところが面白い。この地のお土産「しほみ饅頭」には子どもの

頃から論理矛盾を感じていた。甘いあんこと辛い塩の合わせわざ、しかし互いにそれを生かしあっているなら、これは

人生にとっても示唆的なもののひとつに違いない。自己矛盾に悩んだ時はこの饅頭を思い出そう。ちなみに近くの龍野市

には「醤油饅頭」もあるので要注意。  さて、2006年。皆様にとってよい1年になりますようお祈り申し上げます。

 

 

12/22

この12月、記録的な積雪がニュースになっている。もう随分前だがスキーツアーのバスが一晩で消えてしまうという

豪雪にあったことがある。もちろんリフトも埋まってスキーどころではなく2日ほど帰れなかったのである。このと

ころの暖冬で油断していたが冬とは寒く怖いものなのであった。さて今年をふりかえってみると自分の美術人生、印象

的な展覧会を見たり参加できたりと結構エキサイティングな1年だったような。民博ブリコラージュ展、ギャラリズム、

横浜ビエンナーレ、それらに共通の「コミュニケーション」や「記憶」というテーマ。アートの背後にある様々な思考

に触れ、精神は少し豊かになったかも。寒空に路地を通るとあちこちで「イエナリエ」が。LEDのイルミネーションが

増え青や白のきれいな明かりに様変わりしてきた。従来の米粒球?に比べ1球1球に個性がなくなったような感じ。ど

うせ家族の幸せ感を演出するなら、なんだか冷ややかなLEDより風でちらつくような温度のある光が相応しいのでは。

玄関灯の電球さえ切れている我が家だからえらそうなことをいえる立場ではないが。本当に寒い2005年もあと少し。

 

12/8

いつのまにか「師走」今年も残り少なくなってきた。今日の夕方カメラのキタムラへ、横浜で撮った写真をプリント

しようとコンパクトフラッシュを財布に挟んで車から降りた瞬間「ポトリ」そこには溝が。店で借りたのは懐中電灯と

軍手。溝蓋、グレ−チングをはずして30分ばかり地面にへばりついて捜す。そろそろあきらめようと思ったら見つ

かった。なくなりそうだとものすごく大切に思えてくるから不思議だ。横浜マリンタワーの展望台から360度何枚か

写しただけだからなんてことはない。ところで、タワーというのはどうしてどこも愛おしくB級感覚に満ちているのだ

ろう。神戸、京都、東京、新世界、舞子・・・・。施設のレトロっぽさに加え、風景を覗くというパノラマ的な展望が

現実を遠ざけて妙なところにつれていってくれる、このわくわく感はむしろキッチュである。横浜トリエンナーレで実現

しなかった「マリンタワーにピンクの鬘をかぶせるプロジェクト」これこそタワーに相応しいおバカな作品だと思う。

 

先日テレビで見た「終わりに見た街」(山田太一監督)のラストシーンは予言めいた廃虚東京のパノラマ。これが虚構の

風景とは断言できないきな臭い現在、一見役にたちそうもないアートの背後にあるメッセージは、暴走する時代を少し

冷静にさせることが可能なのだろうか。

 

 

11/23

横浜へと小旅行、気になっていた横浜トリエンナーレ見学である。前回が2001年、9.11のすぐ後、ランドマーク

タワーがニューヨークのツインタワーに重なって、オノヨーコの作品が印象に残ったことを思い出す。今回はアート

サーカス。場にこだわることや人との関わりなど、さすがに「アートレス」を標榜する川俣ディレクターだけのこと

はある。100均絵画がテレビでも評判になったライブアートを続ける堀尾貞治氏のパワーは健在。奈良美智+graf

は巨大倉庫の一角に巧みな会場内会場を構築。日常からの跳躍というテーマに対する実直さと手作り感を多くの作家

から感じることができ、それは嫌みのない展覧会という印象へと至った。しかし、行きの新幹線で読んだ美術手帖の

もう一つの特集「飴屋法水個展」(2週間自身が箱に入り続けたらしい)の記事がヘビーだったため、アートについて

いろいろ考えさせられる鑑賞旅行になってしまった。結局、横浜美術館での「禅」に通ずるようなリー・ウ−ファン

作品がもっとも精神を整えてくれたような気もするし・・・。 とにかく、帰りの新幹線で考えたこと、「崎陽軒の

シュウマイ弁当」(710円)はコンセプトがはっきりしていて、そこそこイケるんじゃないか。ということであった。

 

11/1

大阪現代美術センターの「屋台的アート」とギャラリーHOTでの作品展が始まってちょっと一息。ギャラリーの

サイトにある会場カメラは10分おきにその様子を映している。 会場にあるモールスキーをうまくたたけばその

メッセージが文字になってどこからでも見れるという、アナログデジタル混じったコミュニケーションツールにも

なっている。ちなみにそのURLは以下。

http://galleryhot.com/camera_img/index.html

先日、現美センターのオープニングでソプラノサックスの即興演奏と大電鍵のチープなモールス音とのコラボレ−

ションが行なわれた。おそらくこれは世界でも珍しい音楽に違いない。また臨時のミニ屋台が出たりするちょっと

かわった展覧会「屋台的アート」だ。 11月3日はダンスパフォーマンス、インドの紙芝居、幻灯など面白い企画が

あるのでどうぞお越しください。

 

10/11

これが件の電鍵である。作ったといっても金属部やノブの部分それぞれにプロの職人さんに頼んだわけで、自分で

いうのも何だが格好いい。日本橋のウエダ無線さんにもそのサイトで紹介していただいた。アート関係以外の人が

楽しんでくれたなら、まさにこの電鍵がいろんな世界を行き来するコミュニケーションツールになるということで

それは結構わくわくする。自分もこの製作の間モールスについて調べたが、高度な音感法や元無線士の苦労や誇り

電鍵にまつわる悲喜こもごもが語られている。今なら機械がデジタル化してくれるところを人がやっていたわけだ

から昔の人の方が高い機能を備えていたといえるかもしれない。しかも美しい打電というのがあるらしく、トン・

ツーの間に感性を滑り込ませるとはたいしたものである。ちなみに自分が今打ちたいのは「・・・ ーーー ・・・」

 

10/1

阪神優勝。強い巨人をやっつけるというような図式はもうどこにもない。甲子園はほとんど阪神ファン。トラに

食われるブロイラーといった様相の試合である。しかしその完璧さがなぜか物足りない。スポーツがこんなにさわ

やかでかっこいいというのはどうなんだろう、と思っていたらひとりだけ変わり者がいました。井川君。胴揚げに

いなかった理由は知らないが、12勝投手でありながら、球団優勝の瞬間に全然違うことを考えていたのだったら

こいつはすごい? パソコン好き? 阪神のスケープゴート、電車系アスリート井川にMVPだ。テレビ映りに無頓着

な髪もよいぞ。さて各局を選手が回るテレビの優勝インタビューは面白かった。他局のばか騒ぎの音声を拾ってし

まうが、どうしようもなく知らんふりをしているNHKアナウンサー。声の主、梅田淳はあとでおこられたらしい。

 

大阪府立現代美術センターでの「ギャラリズム」に参加させてもらうことに。屋台的アートというタイトル通り

フレンドリーな美術展になればと只今製作中。でっかい「電鍵」を是非見に来て叩いてください。

10月31日〜11月12日

浜トリ(横浜トリエンナーレ)もいいけどこちらもよろしく。

 

8/31

単なる偶然も重なるとなんだか不思議な気持ちになる、というのはこうだ。近くの大型電器店でインクを買い

レジにいくと801円と何か半端な端数1円、ポケットに小銭なく、ふと台の上を見るとちょこんと1円玉が。

前の人が忘れたか、結局使わなかったが良いタイミング。そのあと2年ぶりぐらいで会いたかった知人にばった

り。夕方ホームセンターで段ボール箱6個が5個分の計算だとあとで気づく、「得した」とさもしい考えの罰か

免許証やカード類の入った財布を紛失。さんざん探したが結局遺失物届けをしに警察へ。なんと無傷で届いて

いた。何か運命的な一日。ジュンク堂で「NO WAVE」という本を買う。表紙のジェームスチャンスが懐かしい。

この7月に来日していたらしい彼のサックス、始めて聞いたのは「NO NEWYORK」なるオムニバス盤だった。暴

力的、金属的、悲鳴のような音は決して記憶から消すことはできない。買った本に書かれた「ここちよいもので

覆われた世界を引き裂き、その裂け目から顔を出す何かに人々を直面させるような望みでなければならない」

という文は椹木野衣の芸術観。この夏見たアウトサイダーアートと呼ばれる絵画作品とも通底する「うまい、

へた」を超えた、このようにしかできないという凄さが呼び起こす共振。これらは一見ハードな世界のようだ

けれど、その正直さにおいて、ほんとは優しいものなのかもしれない。

 

8/17

暑くてぼーっとしていたら8月も後半に。子どものころ、お盆を過ぎると夏休みの残り日数が気になり、宿題に

追われはじめ、悲しい気分になっていた。今でもその感覚があってヒグラシが鳴き始めたりするとなぜか悲しい。

さて子ども気分で大阪の科学館に行ってみるとプラネタリウムが満員である。街のまん中なのに涼しくて星をみる

ことができて、こんなええとこあってんね、という感じである。DJブースのようなところに解説者がいて、リアル

タイムで機械をあやつりながらのおしゃべり、座席もリクライニングで気持ち良い。本当に気持ちよく眠れた30分

でした。科学館の隣というか地下というか、そこにあるのが国立国際美術館。地上のステンレスパイプが遠くからは

巨大な昆虫のように見える奇妙な建築である。中東欧の現代美術の展覧会中、ゴッホ展とは違って人も少なくゆっく

り見ることができる。カフェレストランもおしゃれだが水はミネラル100円也と注意も必要だ。これが国際的なので

ある。家に帰るとテレビではお盆の不意打ちのような東北地震のニュース。自然も社会も人の心にも激震が走るよう

な時が近いうちに来るのかも。強さの論理が幅を利かしてきた戦後60年の夏、この頁はユル系を守っていかねば。

 

7/25

二階堂氏より恐怖のメールをいただく。私の乗っている10年ほど前の某輸入車が最近こわれているとの情報。

ストラットマウントの突き抜け事件やリヤハッチがとれちゃった事件と凄みのある故障だ。ショップで見てもら

いセーフ、その帰りになんとエアコンが動かず。モワッとした質感のシートでエアコンが効かぬとなるとこれは

地獄的な暑さ、引き返してもう一度見てもらい、ちょっと預けることに。後日取に行くと「あの後エンジンを

かけ直したら効きました」とのこと。いつまたタオルで汗を拭きながらのドライブかと思うとちょっと怖い。

この車はつまりこういうことを自慢できる人が乗る車らしい。自分はまだ未熟者である。そういえば二階堂氏は

動かないワイパーを左右の窓からヒモであやつりドライブしたことを25年以上前に自慢していたから、相当な

達人である。香西氏がポリタンク入の水を積んでラジエーターに穴のあいたカローラに乗っていたことや、

床から道が見えるスバルの、窓ガラスを板で支えて乗っていた藤原氏、ドアとフェンダーを解体屋さんで調達

した三色ギャランの加藤氏・・・。いろいろ思い出した。愛車シロッコを雑誌のコーナーで売り、引き取りに来

た人が帰ろうとしたら動かなくなったので五万円あげたという杉本氏は今も自宅で車を作っているらしい。

この夏、自分の作品を積んで面白そうな場所へ行き撮影するつもり。170cmの「電鍵」とシャボン玉発生器。

人生「うたかた」(泡沫)のごとし。

 

7/10

とうとう生のジェフベックを聞くことができた。これにて思い残すことなし。「じゃああとは余生を過ごす

だけ?」と言われた。そうかもしれません。素朴ないでたちで現れたジェフベックは黙々と曲を披露。ストラト

キャスターが吼える。トレモロアーム、バイオリン奏法、何か三十年分切ない感じ。ロンドンの犠牲者に捧げられ

るかのようなラスト曲「虹の彼方に」確かにギターが哭いている。充実の2時間。さて次の日はコインパーキング

で9と6を間違い他人の料金を払ってしまう。おまけに車止めにお腹をガリガリ。やはり日々悔いを残すことばかり。

 

6/19

先日、木村充揮&大西ゆかりと新世界、伊丹ホールでのライブ。ゆかり姉さんが少し緊張気味に思えるほど

木村氏のかもし出す堂々たる空気。何か音楽づいてきたので7月のジェフベックも聞きに行くことにしようか

と思う、脈絡はないけれど。さて自分恒例の芦屋市展、今年は庭に作品を置いてきた。もらった廃材で小さな

小屋風オブジェを作ったが、ありがちな形が恥ずかしくもあり、逃げるように美術館を去る。恥ずかしいとい

えば今日の夕方、イズミヤの駐車場でふと気がつくと、ズボンの太もものところにサイズを書いたテープが。

朝思い切って新しい綿パンを穿いたまではよかったが、タグだけはずしてサイズのテープをとり忘れていたと

いうこと。お昼頃うろうろしていたギャラリーで真面目な顔をしながらウエスト79センチの表示を見せびらか

していたとは・・・。何とも情けない、穴があったら入りたいとはこういう気持ち。穴といえば新橋のカプセル

ホテルにとまった話を友だちにしていたら、「そこはみんなが縦に泊まるんでしょう」と聞かれた。つまり土管

につまった水族館のアナゴ状態を想像していたらしい。2段3段とあっても一応「横」は保証されていると説明。

作品、子ども一人が入れそうな廃材の小屋とは、監視小屋か独房か、覗いているのか覗かれているのか。そんな

二重の意味を表した箱、カプセルである。今日出会った杉野まり氏の指摘どおり、ちょっと重苦しい作品だ。

 

 

5/28

次回の作品に関連しての資料探しに日本橋へ、その一つが「電鍵(でんけん)」である。モールス信号を打電

するためのあのトンツーの装置。自分が父に教えてもらって最も役に立たなかったものの一つがモールス信号。

しかし今も数少ないナントカ無線という店にはマニア垂涎の電鍵が陳列してある。真鍮を削り出したきれいな

ものや無骨なソ連軍用etc。 日本語の「あ」が多分「--・--」だからやたら効率の悪いコミュニケーション

ツール。しかしこれに一国の運命を託していたというのもすごい。タイタニックのSOSもまた。ほんとに

かっこいいので写真を載せておきましょう。

5/10

この休み中、1日だけ春一番コンサートin服部緑地を聞きにいった。小坂忠やなぎらけんいちは天王寺野音

以来の出演、つまり30年ぶりらしい。かくいう私も服部緑地は初めてで30年ぶりの春一番。ミュージシャンも

客席で見物してたり飛び入りしたりとフレンドリーなコンサート。客層もそれなりの御年輩多し。ステージ前で

ふらふらと踊っている人がいるのは相変わらず。ナチュラルライフを歌うエスニックサウンドも良いが自分は

自虐的に街暮しの侘びしさを歌うペーソスやずっと前の出演キャンセルへの恨み節「ジェフベックは来なかった」

を歌う豊田ゆうぞうなんかが好き。屈折してても身の丈で肯定的に生きてる方が、理想を掲げつつあっぷあっぷの

嘘臭い人生よりずっと良い。さて、JR事故後気になるのは線路の置石と職員への暴力が増えたこと。自分自身の

内部に隠れているかも知れぬ暴力性や都合の良い正義感を見直してみる機会かもしれないと自問。

 

5/2

この一週間報道番組はJRの事故を流し続けた。自分もちょくちょく利用する線だっただけにテレビの中の

出来事というのではなく現場と自分との空気がつながっている気がする。何かの偶然で生死を分けられ

無念に至った犠牲者の方々には心より御悔やみ申し上げます。 報道の論調を鵜呑みにする訳ではないけれど、

問題点のありかをとかげの尻尾きりにさせないジャーナリズムの気概も感じる。上層部に欠落する現場感覚が

言われる。過密スケジュールを要求しているのは庶民でもあるというアイロニーもまた。自分たちは何のために

秒単位のタイムラインにのってしまっているのだろう。考えるところ多し。

一ヶ月程前購入した中古車はエンジンをかけて1・2分待たないと壊れる車。スローライフを言いつつどこか

気ぜわしい自分にとって良いアイテムかもしれないと思う。走り屋風な車の攻撃的安心感でなく座って移動

する背中の心地よさという妙な魅力。ゴールデンウィーク計画もないので近くをぐるぐるドライブしていよう。

 

4/20

新聞の訃報欄に高田渡さんの名前を見つける。時々テレビで見るお姿は飄々とした、そしてキリストの

ような風貌、よもやお亡くなりになるとは。生涯フォーク歌手。好きになれなかったニューミュージックが

出る前のちゃんとした?フォークは今でも記憶の底に張り付いている。代表曲「生活の柄」の歌詞、当時は

理解できなかったが言葉は今でもすらすら出てくる。ビバ70年代、ということで古本屋でなにげなく目に

止まったのが「RockMagazine」パンク特集の他、日本のロックの息吹きとして「だててんりゅう」と

「飢餓同盟」のインタビュー。学生のころ、この飢餓同盟がギタリストを募集していたので電話をかけた。

もちろん結果は不採用。自分は譜面も読めないことを忘れていたわけで・・・。この号の広告欄に小さく

神戸での「ロッキーホラーみーはあショー」のお知らせが、音楽担当は「魔璃鴉(まりあ)」というのも

なつかしい。古書の楽しみのひとつ、今になって過去に思い出を書き加えるような不思議なトリップ感。

記憶そのものが生身で生き続けていたような高田渡。歌にある「いのだコーヒー店」は今もあるらしい。

 

 

 

 


              

 

 

 

2001ネンウチュウノタビ

モド