70's Rock cafe
昔を懐かしむようになっちゃあおしまいかもしれませんが、記憶の中の70年代、
そのディテールが妙に鮮明になってきたこのごろ。 きっと年のせいでしょう。
8.8ロックデイ
74年から77年の8.8ロックデイのCDを発見。一番欲しかった75ものはすでに
売れていて、とりあえず74年ものを購入。上田正樹とサウストゥサウス、ウェス
トロードブルースバンド、だるま食堂、アビーロードなんかが出てた時のやつ。
それを聞きながら74's琵琶湖バレイにトリップだ。
琵琶湖バレイに一人で出かけた時の格好は、前割れつぎはぎジーンズに厚さ10
センチのデニムサンダル、たしかサボとかいうはきもの。当時はじめてエレキギ
ターを手にしていた僕には渋めのファンキーなギターやブルージーな音より、派
手目でせつない泣きのフレーズのプログレ系がカッコ良く聞こえていたみたい。
多分後のブラインドイクスプレスやマリアの前身だっただろう、だるま食堂やア
ビーロードという元祖化粧バンドを見て自分らもこんなんやりたいなと、それな
りにつっぱらかってた姿は今思うと微笑ましい。デビッドボウイもどきやラリっ
てる観客などにまぎれて、PA前の心地よき大音量。この時聞いたかどうかは分
からないけれど、フェンダーローズ(だったかな)のパーカッシブなレスリースピ
ーカのトーンは今でも夕暮れのコンサート会場に魂をつれて帰ってくれる。
NG
ザ・バンドを聞きながら
神戸の高架下、特に元町以西は今でも結構ディープなエリアである。ちょうど
花隈あたりの高架下にあったロック喫茶が「NG」。72年頃に学校をさぼって
よく行ってた場所、ベニヤ板の小さいドアを開けると、煙草とコーヒーの匂い
のする薄暗い狭い空間だった。入り口脇にプレーヤーがあって椅子というより
箱みたいな座席、無造作に貼られた横尾忠則のポスター。そんなアンダーグラ
ウンドな雰囲気は僕にとってのパラダイスだった。当人は覚えてはいないだろ
うけど、マスターがレコードの買い出し帰りにおごってくれたのは老詳記の豚
饅頭。なんかファミリーに混ぜてもらったような気がしてうれしがってたのを
思い出す。 ここでのライブではディランセカンドや多分古川豪なんかも聞い
た記憶がある。 バットマンと呼ばれるひげの人物も覚えている。
場所がら外国人も時々来ていて、船員なんかはハシッシを売っていた。もっとも
僕なんかは絵の研究室に通う電車賃と夕食代くらいしか持っていなかったから、
相手にもされなかったけど。
URCレーベルのフォークしか知らなかった高校生にとって、ここで出会う音楽や
出来事がどんなに新鮮であったか。
閉店前にはよく、ザ・バンドのレコードがかかっていたのではなかったでしょ
うか。そのあと神戸駅まで歩いて最終のバスに乗って帰って、そんな日々。
厚底シューズ
今、靴屋さんに並んでいる女性用ブーツはすごい。20cm以上の厚底もあった
りして圧巻。このシルエットを見て思い出すのはグラムロックのバンド。
ラメTシャツにロンドンブーツの出で立ちは、70'sコンサートでよく見かけた
スタイルだった。ぼくもロッカーを気取ろうとしていたんだがなにせびんぼう
下宿人、本物ロンドンブーツ(かかと積み皮、3万円以上なり)は無理なので偽
ロンドンブーツ(かかとウレタン)を購入。どこへ行くにもこれを履いていた。
というより、これしか靴がなかったのだ。もちろん風呂屋さん(城南湯)にも。
満員電車に乗るときは頭ひとつ出て気持ちいいのだが、学校の裏門の坂を下る
ときアンバランスな状態となり、よく足をぐねっていた。それと10円玉を落と
したとき拾いにくいのが欠点だった。
友人のコーザイ君は厚底スニーカーを愛用。バスケットシューズの底が全体に
10cmくらいあるやつだったがあまりに履き込みすぎて完全に船底型になって
いたのが印象に残っている。パジャマの上にデニムのロングコート、足元をそ
の船底スニーカーで武装した彼と天王寺野音なんかによく行ったものだ。
今どきの厚底靴を見ると、懐かしさもひとしお。そして、いっちゃってるバン
ド、ニューヨークドールズやチューブスなんかを思い出すのである。
天王寺野音
さて、天王寺野音といえば春一番やいろんなロックコンサートを思い出すのだ
が何年に何を見たのか資料もないし、記憶も曖昧なまま。今手元にあるCDで
当時の音を涙もので振り返ることができるものといえば・・・・。
「サンハウス」 ボーカルのKIKUさんはもういませんよねたしか。エキセン
トリックな歌詞と、なんといっても鮎川誠のギターの音が印象的だった。
「外道」を2度目に見たのもここだったのではないかと思う。着物風ステージ
衣装とマーシャルアンプ6段積み、ダブルバスドラム。 バックには何故か
鳥居があって、まさに神がかりカリスマバンド。そういえばこのころはロック
はカリスマじゃないと駄目と信じていたから、わがバンドもいつの間にか外道
のコピーバンドになっていたのであった。というより曲が簡単でなーんにも考え
てないばかな歌詞がまねしやすかっただけ。ちなみに当時のぼくの愛用ギターは
メープルネックの黒のストラト、グレコの文字を削ってフェンダーと書き換えた
迷器だった。なけなしの小遣いで買ったジェットフェイザーはうまく聞こえる
いいエフェクターだったが盗まれてしまって心底がっかりしたのを覚えている。
ZOOM
ズームは8.8やバーボンハウスで見たと思う。大阪で活躍していた実力派バンド。
円ひろし氏のボーカルで、うまいけどそんなに好きでもなかったのは、なんか明る
い音だったからかもしれない。 友人のコーザイ君とコンサートを企画して、出て
くれるバンドを探してたら、ズームとアブレオスバンドとシルビアとまとめて2万円
也の出演料でOKだった。何故コンサートを思いついたかといえば、お金がなくて
チケット代で自分たちの飯代を稼ごうというあざとい動機。コンサートの当日、ミ
キサー(といっても4chくらいの小さいやつ)を忘れたといって、ズームのマネージャ
ーが電車で取りに帰ったりしていたが、なんとものどかな時代でありました。
そのときのもうひとつのバンド、アブレオスバンドのギター、たしか戸田さんだった
と思うが、ジェフベックのコピーがうまくて、それに触発された僕は夜な夜なギター
の練習に励むのであった。
二階堂シゲル
70年代にこの人物に出会ったおかげで、その後の人生を結構面白く過ごせているのかも
しれない。バンドをやろうかと言い出してはみたものの器材もなんにもない状態。しかし
彼はどこからともなくアンプやギター、ドラムなどを調達してくるのであった。真夜中に
僕の下宿に60ワットのベースアンプ(当時としてはでかいエーストーン製)を運んできて試
奏、下宿が揺れた。ドラム3点セット、フェンダーテレキャスなどなんとなく楽器を集めて
しまうのには恐れ入った。レコードも台湾製とかいうあやしいものであったがかなりの枚数
を持ってて、ザッパやマイルス、スライ、ロキシーなどいろいろ借りて聞いていた。そして
「ワンコード、ポリリズムにギターインプロビゼーション、ボーカルはアジテーションで」
という彼のコンセプトによって人生最初のステージを踏んだわけである。思えば吉野屋の
牛丼、回る寿司、ジャズ喫茶、現代美術、こっくりさんなどなど彼に教わったものは多い。
けっこうグルな人だったんだが今はどうだろう。本人いわく「人生、油断したかもしれん」。
早すぎたインテリ二階堂シゲル、彼と僕と杉本とのユニット、パラノイア、8.8予選でギター
をステージでこわして、客席から「あほ、帰れ」と言われたり、近所の病院から「うるさい」
と怒られたりしてたがなんか楽しい時代。そして壊れたギターは二階堂氏が修理してくれて
それをまた使ったり壊したりしておいしい私。
FREE ALL
神戸大学の講堂で毎年あったイベント「ロックイン六甲」。カワサキさんと呼ばれる人物
が仕切っていたように覚えている。時々元町なんかでも見かけた細身の黒っぽい服にサングラス
の人物。当時ウッドストックの映画やイージーライダーなどを見て「自由」という言葉がきら
きら輝いて見えた時代、カワサキさんがロックイン六甲で喋っていた「フリーオール」の意味、
アメリカの下町で鬼ごっこか何かの遊びをするとき、つかまった子供を解き放つ合言葉、それが
FreeAll。この話を今でも思い出す。今でも気分はFreeAll。
ロックイン六甲に出ていたかっこいいカリスマバンドのマリアだったが一度だけがっくりと肩を
落としているのを見たことがある。京都の「拾得」でのライブ。京都の客にはチャラチャラした
ステージ衣装や耽美趣味が興味なかったのか、あんまり受けがよくなくて、むりやりブルースを
演奏するもなんか違うって感じで、ステージ後道端でしょげてた彼等を目撃してしまったときは
このギョー界の厳しい一面を見たようで、こっちまでちょっと辛かったそんな夜。
この時、つれのコーザイ君は「劇団維新派」の練習をサボるかどうか考え中。
京王技研のワウペダル
神戸の楽器屋をうろうろして、ギターやキーボード、エフェクターなんかをみていると、この
ごろはほとんど何でもできるデジタルのマルチエフェクターばかりかと思いきや、ジミヘンや
ジェフベックのつかっていたアナログものの復刻モデルみたいなのもあって結構面白い。
そんなのを見ながら思い出すのが池田商店街の奥にあったハセガワ楽器のスタジオに置いてあっ
た忘れ物のワウペダルである。武骨なデザインの大振りなペダルで京王技研製だったと思う。
何が印象的だったかといえば、ワウペダルの横にあったあいそのないフットスイッチである。
SINGINGというそのスイッチを踏むとギター音やワウワウとは無関係にピョーピョーンと
まぬけた電子音が出るのだ。まだ日本ではシンセサイザーの普及器はなかった時代、なんじゃ
こりゃ、といたく感激したことでありました。 このメーカーは後のコルグ、シンセメーカー
としての発展はこのへんてこなエフェクターが基盤になっているにちがいない。(うそ)。
で、これをスタジオに忘れていたのはブラインドイクスプレスだったと思う(推理)。
ロイ・ブキャナン
キズだらけのCDがある。ロイ・ブキャナンが80年代に出したもの。何でキズだらけかと
いうとデッキの中に引っかかって出てこなくなり、救出したときは無残な姿だったという
わけ。 さて、LPの時代もロイブキャナンのはキズだらけだった。安物のステレオで何度
も聞きすぎてそうなっていたのである。僕が初めてバンドを組んで演奏したときのギターが
人に借りたテレキャスター。ジェフベックがブキャナンに捧げた曲もテレキャスで演奏した
「哀しみの恋人達」でこれは必死でコピーした。テレキャス大将のブキャナンだが当時
13kgの大理石のテレキャスターを持っていると雑誌の記事に書いてあって、このこと
だけはその真偽はともかく印象に残っているのである。だいたいそんな重たいギター、
プロレスラーでもないかぎり使える訳ないやろと思いつつも、その音色を想像したものだ。
全然関係ないが、当時だまされて買ったリッケンバッカーモデルのベースは中がまるで
からっぽで、肩から掛けるとヘッドがクルンと下を向いてしまい音もポコポコ、重量は
2キロにも満たないバカベースだった。 楽器は重い方が良い。
IKEDA CITY
ビデオ映像の音を入れるのに簡単な多重録音器が必要だったので、池田の前田楽器に行ってみた。
商店街にある店ともう一軒、昔下宿していた場所の近くにある城南店とがあって、そのあたりを
ふらふらと20年ぶりに歩いていると、全く建物も景色も変わってしまったところが多いけれど、以
前のまんまのたたずまいを見せる場所もあって、妙に懐かしく思える。
駅から少し歩いた所にホンダの小さなディーラーがあって、学生のころその前を通ると北京一さん
のバイト姿が見られた時があった。 ソーバッドレビューでボーカルをやってたころかと思う。
山岸潤史のギター、ブルースにのせて語るかたつむりの歌は印象深い一曲であった。昨年、北京一
パントマイムショーを見てその切れのよいパフォーマンスに驚いた。この人全然年をとってない、
そんな気がした。
池田の街と神戸をギターケースをぶらさげて何度も往復していたころ、誰にも知られていないと
思うが、僕のハードケースの中は下宿生活でたまった洗濯物がぎっしりと詰め込まれていたの
である。 阪急三ノ宮あたりでそのふたが開かないように注意していたのはいうまでもない。
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